各論
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愛
VERDEでの定義
VERDEでは、愛を、源のエネルギーそのものと捉えます。
そして宇宙は、その愛を基盤として存在しています。
ここでいう愛は、「誰かを好きになること」「誰かを大切に思うこと」「優しくすること」といった、人間関係の中で使われる「愛」だけを意味しているわけではありません。それらも愛の一つの現れですが、VERDEで宇宙の仕組みとして扱う「愛」は、もっと根本的なものです。
源そのものを構成し、宇宙全体の基盤となっているエネルギー。それを「愛」と呼んでいます。
簡単にいうと
宇宙が存在し、動いている土台、と考えてみてください。
私たちは、愛のある場所と愛のない場所を行き来しているわけではありません。宇宙そのものが、愛を基盤として存在しています。
つまり、愛は宇宙の中に存在する一つの要素というより、宇宙そのものが存在しているフィールドとして捉えることができます。
愛には、さまざまな表現がある
源は、完全な存在です。そして宇宙は、その源が、自身とは少し違うものを展開するためにつくったフィールドです。そのため宇宙には、さまざまな違いがあります
総論では、源を一輪のバラにたとえています。私たちは、それぞれのキャンバスに、そのバラを描いているような存在です。
赤く描く人もいる。青く描く人もいる。線だけで描く人もいる。一見すると、バラには見えないようなバラを描く人もいる。それでも、何を描いてもバラです。
同じように私たちは、それぞれ異なる形で源を、そして愛を表現しています。だから、宇宙に存在する「違い」は、愛とは反対のものではありません。
違いそのものが、さまざまなバージョンの愛の表現でもあります。
愛ではないものは存在できない
ここは、VERDEで「愛」を理解するうえで、とても重要なところです。
宇宙には、愛ではないものは存在できません。源は、愛そのものです。
そして宇宙では、その源とは少し違うものを、さまざまな形で展開しています。
源とは違う。源から少し離れている。源とは異なる表現になっている。そのような違いはいくらでも生み出すことができます。
しかし、源と完全に対極にあるものが存在することはありません。
もし、源と完全に対極にあるものが存在できるのであれば、源は「すべて」ではなくなってしまいます。だからこそ、源は源なのです。
宇宙では、源とは少し違うものをどこまでも多様に展開することができます。しかし、源ではないものを生み出すことはできません。
そして、源が愛そのものであるならば、愛ではないものを定義することもできません。
「愛の反対」は何?
一般には、
「愛の反対は憎しみ」
「愛の反対は恐れ」
「愛の反対は無関心」
など、さまざまな表現がありますが、VERDEでは、そのようには定義しません。
なぜなら、愛ではないもの自体を定義することができないからです。
憎しみ、恐れ、苦しみ。怒り、悲しみなどは、肉体を持った私たちから見れば、愛とは大きくかけ離れたもののように感じるかもしれません。けれども、愛を基盤とする宇宙に存在する限り、その状態ですら愛から生まれたものなのです。
「善い行い」だけが愛のすべてではない
このことは、「何をしても善い」という意味ではありません。
ここで説明しているのは、人間社会における行為の善悪ではなく、宇宙の構造として、愛というフィールドの外側は存在しないということです。
総論で、「何をやっても愛ということ」と表現しているのも、この意味です。
何を体験し、どのような違いを生み出したとしても、その存在そのものが愛というフィールドから外れることはありません。
愛と自由意志
愛を基盤とした宇宙には、自由意志があります。
「愛を基盤としているなら、みんなが同じように愛のある行動をすればいいのでは?」と思うかもしれませんが、それでは違いが生まれません。
宇宙では、それぞれの存在が自由に表現することが認められていて、その自由意志は、源からも独立しているほど完全なものです。
それぞれが自由であるからこそ、さまざまな違いが生まれ、その違いを通して、源のさまざまな側面が表現されていきます。
愛というフィールドの中で、それぞれが自由に異なる表現をしているのが、宇宙の姿です。
愛と「心地よさ」
宇宙には、源へ向かう大きな流れがあります。
その方向を肉体的な感覚へ置き換えると、
明るい方へ。心地のいい方へ。より快適な方へ。より愛に満ちている方へ。より充実している方へ。
と表現することができます。
また、愛と同調していると、楽しいとも説明しています。
ここでいう「楽しい」は、大きな興奮だけではありません。
静かなワクワク。穏やかさ。気分が上向いている状態。そうしたものも含まれます。
ただし、愛=心地よさということではありません。
愛は宇宙そのものを支える、もっと根本的なものです。
心地よさは、肉体を持った私たちが、その愛や大きな流れとの関係を感じるときに現れる、一つの感覚として捉えるとよいでしょう。
愛と自己肯定
源も、宇宙も、ハイヤーセルフも、私たちを否定していません。全肯定しています。
一方で、肉体を持った私たちは、自分自身を否定することがあります。
「こんな自分ではいけない」
「こうしなければならない」
「こんなことを望んではいけない」
そのように、自分の感覚や望みを否定します。
そ こで大切になるのが、自分を愛することです。
これは、「私は何をしても正しい」と思い込むことではありません。
自分の望みや感覚を最初から否定せず、「私はどうしたいのだろう」と自分自身へ戻っていくことです。
宇宙が自分を否定していないように、自分自身も自分を否定しすぎない。その意味で自己肯定は、肉体として愛を体現していく一つの形でもあります。
言い換えると
VERDEの資料では、文脈によって「愛」を、
源のエネルギー
宇宙の基盤
宇宙が存在するフィールド
源の本質
すべてを全肯定するもの
といった側面から表現することができます。
ただし、これらは別々の種類の愛があるという意味ではありません。同じ「愛」を、どこから見ているのかによって表現が変わっています。
また、心地よさ、楽しさ、自己肯定なども愛と関係しますが、愛そのものと完全に同義ではありません。これらは、肉体を持った私たちと愛との関係を説明するときに現れる表現です。
一般的に使われる類似表現
スピリチュアルや宗教・思想の領域では、愛に近い概念として、
無条件の愛
無償の愛
普遍的な愛
宇宙愛
神の愛
ユニバーサル ラブ
アンコンディショナル ラブ
ワンネス
などの表現が使われることがあります。
ただし、それぞれの思想や体系によって意味は異なります。
例えば「無条件の愛」は、VERDEでいう「全肯定」と近く感じられるかもしれません。「宇宙愛」や「神の愛」は、「源のエネルギーそのもの」という説明と重なる部分があるように見えるかもしれません。しかし、VERDEではこれらを正式な同義語として定義しているわけではありません。
そのため、一般には似た概念として使われる表現もあるが、VERDEでは「源のエネルギーそのもの」を基本定義とする、と捉えてください。
関連する言葉
源 愛そのものでもある、宇宙の起点。
宇宙 愛を基盤として成立し、その中で源とは少し異なるさまざまなものが展開されているフィールド。
自由意志 愛というフィールドの中で、それぞれの違いを成立させる基本原則。
大きな流れ 宇宙が拡大しながら、より愛に満ちた方向、源へ向かっていく流れ。
感情 ハイヤーセルフの方向性と、現在の自分との位置関係を知るためのサイン。
自己肯定 宇宙が自分を全肯定しているように、肉体側でも自分自身を認め、自分の感覚や望みを否定しすぎないこと。
